保育歴25年 滋賀県でうどん屋歴約10年

保育士とうどん屋

保育士として大阪で10年、滋賀で15年保育をしてきました。
男性保育士としては走りだったかも・・・。
子どもたちと接する魅力。
子どもたちの発達する姿にときめき25年。
しかし、それも終止符。


あれだけ好きだった仕事が・・。
経験が増えれば責任を負わせられ、
臨調行革から臨時、パート職員が増え、
正規にどっと責任が・・。
最後のほうはまるで組織の歯車かという気持ちになりました。
職員会議で決められたことは守り、
思ったことは言っても空回り。

うどん屋として まだ10年

2008年10月からうどん屋を始めて10年になろうとしますが、
えっ、まだ10年か?
という気分です。
もう保育の経験を越しているような感覚。
一人でうどんを作り考える。
思ううどんが打てる楽しみは格別です。
確かに、それが客入りと比例はしないけれども(笑)。

保育の発達論と技能

保育で学んだ発達論やどろだんご作りの技をうどん屋で生かそうとしてきました。滋賀県で保育をしていた時に、斎藤公子氏の生物進化発展の法則のリズム運動が違っていたのです。それは音楽教育の会が作り変えてしまったものです。柱が生物進化の発展というものでなく、音楽教育の会は、その子にあった保育、より技術向上のために求める保育性、地域性を重視し、その地域地域によって音楽教育の目標が違うと言われました。具体的にリズム運動のどんぐり、アヒル、カエルが生物進化発展の法則と全く違うリズム運動に音楽教育の会は変えてしまったのです。

柱は生物進化の発達

私たちは小麦の種を植え、それを数倍に実らせ、より美味しくしてきました。小麦は環境に左右されながら成長発達していきます。

そして、人間の手によって小麦粉に作り変えられるのです。小麦から小麦粉へ質的変化させるには石臼、水車、機械という進化を待たなければなりませんでした。現在は機械製粉が主で大量生産が出来て、また粒も細かく、小麦の表皮は捨てて、胚乳の白い部分のみを小麦粉にします。

うどん打ち

作り手として、小麦粉から生地に移行していく質的転換、生地からうどんに作られる時も、何らかの量的なものがそうさせると感じ、それは捏ねる回数、足でふむ回数、麺棒でのす力、包丁で切るという外的力量が美味しいうどんを作る。

不思議に思えるのは寝かしの時間です。足で踏んだ生地が寝かすことによって、弾力性のあるソフトな生地になるという内的な力の発生です。

どろだんごでは加水率の水と土の関係。またどろだんごの光らせ方がうどんの喉越しとも関連があるのではと感じています。

うどん屋を、あと15年しなければ保育と並べられない。
年齢からすると・・・。
確実に無理(笑)。

組織の歯車化か 自立・独自性か

歯車の一部のような気持ちで働くより、
私の好きなようにできるという仕事に合った自分。
いわば逆に、全体の中での協調性に欠けている自分(笑)。
これから、どのように歳を重ねていくのやら楽しみです(笑)。

と言っても勝手に決められ載せられるコメント、批評、うまい不味いの点数化は、この世では避けられないようで(笑)。拒否できないところのものはあるのですが、気にせずに自分のうどん作りをしていきます。最初は気にしていましたが、現在は、そんなのに振り回されたら自分のうどんが作れないと思いました。評価は売り上げに、かなり響きますが、儲けることが究極ではないので知らぬ存ぜぬが一番!
今から35年前(私は一番後ろ左)