落語、讃岐うどんと私

時うどんと手打ちうどん

落語で上方落語では時うどん、江戸落語では時蕎麦という演題になります。上方落語の時うどんについて述べますが、時うどんの最初のところで「うわーっ、さぶーう」とセリフがあります。昔から寒いときにはうどんというのがあったのでしょうか。その次に「うどんちゅうのは、少々粉が悪かっても出汁が肝心や」とあります。大阪はうどんの汁が旨いという感があります。風邪をひいたときには温かくて柔らかいうどんが食べやすい。汁と一緒に食べたら美味しい食べ物です。ところが手打ちうどんとはコシがあり、なめらかでスルスルッと食せるものだと・・。40年前の私は手打ちうどんとはどんなんかも知らず、ただうどんは汁で食べると思っていました(笑)。

枝雀さんも讃岐ブームになってからか、コシというものも大事やでというよう、時うどんに加えています。落語の世界でも変化がみられました。二時間が一時、四つ、五、暮れ六つと言っていた時にはコシがなんて関西では言っていなかったのでは・・・と思う今日この頃です。

桂枝雀と私

高校時代から落語に興味を持ち、大学卒業のころに昭和52年2月4日、枝雀さんのところへ弟子入り志願をしました。桂べかこさん(当時の名前)が受付にいたので、べかこさんに桂枝雀さんに会いたいのですがと言って枝雀さんと面会しました。枝雀さんは正座をされ、聴いてくださり「君、落語出来るのか」と聞かれて20ばかりというと枝雀さんは、「君みたいなんが来てほしいが他にすることないんか。落語でつぶしは効かんさかいに。この時言わんでもいいのに福祉関係もと言ってしまいました。「そしたら、それしてから来い。6年後でも、いつでも待ってる」と言われ、保育士になってしまったのです。私は保育士になり、この保育が楽しくて25年間保育をしていました。その間に枝雀氏はなくなられ、いつでも来いと言われても、あの世までは(笑)・・。

2001年香川県で全国男性保育者研究・交流集会が。

運命は2001年、香川での集会でした。実技に「うどん作り」があったのです。そのうどん作りの実技を受け、講師は久保店の関連で保育士の久保君でした。このときに、だいたいの讃岐うどんの作り方を覚え、保育園でうどん作りを子どもと一緒に保育で始めました。

保育士を辞める何年か前に枝雀さんがなくなったのを知り、保育士の後、弟子入りに行きたかったのですが、もう無理だと・・。私は枝雀さんが好きで、落語というものには興味はなかったようです。

2008年に保育士を辞めて、とうとう、うどん屋という道に(笑)・・・。

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